2015/06/24

[009] 美しい回文(3)


糞拭きたい。手紙書いた。
「寄付即時待ツ マジ糞拭キタイ 紙ガ手痛キ不足」

[くそふきたい てがみかいた
きふそくじまつ まじくそふきたい かみがていたきふそく]
(旧版:(208) 2011/1/14を微修正)

前々回と前回は、自分なりの回文の良し悪しの基準として「完結性」を挙げましたが、そればかりが自分の基準であるわけではないです。完結性を感じなくても好きな回文はいろいろありますし、逆に、完結性を感じてもその他の基準に照らして自分好みでない回文もまたいろいろあります。完結性以外の評価軸についてちょっとだけ書いてみます。

上記の回文は、内容上それなりに完結性があって、その点けっこう気に入っているのですが、気になるところも2点ほどあります。

1つ目。「即時待ツ」が気持ち悪い。「即時」と「待つ」はつながらないですよね、普通。誤用ですよこれは。誤用だ誤用だ。意味は辛うじて通じると思いますが、日本語として不自然で、気持ち悪いものは気持ち悪い。

2つ目。1つ目以上に嫌なのが、文章が細切れすぎる点です。全体で37字しかないのにその中に5文も入っていて、1文あたり平均7.4字しかありません。これは回文ではしばしば起こることでありまして、小さいパーツのパッチワークみたいになってしまうのです。まさにそんな感じの標記の回文。これもまた文章を不自然に見せる一因でありましょう。

回文に現れる独特な文体のことを、私は勝手に「回文体」と呼んでいますが、この「1文の短さ」が、回文体のひとつの特徴です。回文が、日本語として自然なほうがいいか不自然なほうがいいかといえば、自然なほうが好ましいので、回文体はできることなら可能な限り避けたい、というのが私の好みです。

そういう点で、標記の回文は残念な細切れ感を醸し出しており、その点でイマイチではあるのですが、その細切れ感を、「手紙」という形式を用いることで若干カバーできている、としたらよいんだがなあ、という感じです。

自分なりの良し悪しの基準について、さらに続きます。「回文体」については、また追々書きたいと思っておりますよ。

4 件のコメント:

  1. 微修正はなるほど、昔は「『を』がきれいに入ってCoolだぜYeah!」
    って感じで入れてたけど、実はない方が全体のまとまりが良かったということですかね。
    回文体、わかります。なんか気に食わないです。
    自分が回文川柳、回文短歌をほとんどやらないのに関係するのかもと思いました。

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    1. コメントどうもです。「を」は、綺麗に入ってCoolだと思ってたのですが、そもそもなくても成立するということに最初は気づいていなかったのです。旧版で公開した後改めて考えたら、回文の出だしで「糞拭きたい」と言っているのに、手紙の中では「糞ヲ拭キタイ」と言っていて、これは統一した方がいいんじゃないだろうか、それに「くそふきたい」が2箇所に出てくるにもかかわらず、対応する反対側がぜんぜん違うのがあらステキ、と思ったわけですな。でも修正しない方がよかったかもしれない……まだ迷ってます。
      旧版でもちょっと書きましたが、回文体と七五調回文は深い関係にありますよね。これについては、そのうちまとまった文章を書くつもりです。

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  2. 回文では助詞が省略されることもよくありますね。
    意味は通じるけど片言みたいになっちゃうの。
    今回の微修正はその点では残念かな?
    でもこの間のラジオ投稿作では「そして」が入ってましたね。
    自然な文章になっていて感心しました。

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    1. そうですねえ、「を」はやっぱり入ってた方が良かった気がだんだんしてきました……。手紙だし、「手痛キ」とか言ってる硬い文章なのだから、その点でも「を」は入っているべきではなかろうか。そのうち再修正するかもしれません……。
      「そして」はそこそこうまく入って嬉しかったです。よいところを見てくださりありがとうございます。回文体における助詞の省略問題とともに、接続詞・接続助詞についてもそのうち記事を書くつもりです。

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