2019/01/25

回文関係者に聞く(8) 澤近泰輔さんの巻

私が話を聞きたい回文関係者に好きなように話を聞くコーナー「回文関係者に聞く」第8回は、音楽家の澤近泰輔さんです。


編曲家等としてのご活躍の様子は、こちらの Victorのページ をご覧いただければと思いますが、そんな澤近さん、ガチの回文の作り手でもあるのです。以下の回文を見ればガチさがひと目で伝わるはず……
冬、死の季節。風邪かつ咳の主婦。
値段の半分は食べた。半分は飲んだね。
梨六つに三つのミカン、紙の包みに包む品。
海綿体・括約筋、ギンギン効くヤツ買い…短命か
トーマスは機関車ですがね、意外や意外、根が素で野心家、気はスマート。

回文を始めたきっかけから、音楽と回文の関係まで、あれこれ伺いました。

澤近(澤) 亡き親父が言うには、子供のころ一緒に風呂につかっているとき、親父がたとえば「いす」って言うと「すい」、「コップ」って言うと「ぷっこ」って返す、そういうことをやっていたそうです。
罅ワレ(罅) 素敵な原体験ですね。
 小学校のころには、五七五の回文三つ「きつつきの 飛ぶや小藪と 軒続き」「名が無きを 悔やみ炭焼く 翁かな」「我が立った 岸にも錦 竜田川」にすごく感動しました。読んでいた漫画雑誌に出てきたのだったと思います。50年来覚えているので、印象に残ったんでしょう。濁点は許容しているタイプのやつ(注:濁点の有無を無視して文字を同一してよいというルールの回文)ですけど。中学生くらいのころ、学校の誰かがどこかで見つけてきた「抱いたらダメよ。嫁だ裸体だ」「宇津井健氏は神経痛」なども記憶に残っています。
その後しばらく回文は忘れていたんですが、大学生のときに『ビックリハウス』という月刊誌に出合いました。罅ワレさんは『ビックリハウス』はご存じ?
 リアルタイムでは知らないんですよ。載っているネタを並べ直した単行本を父親が持っていて、それで知りました。雑誌は見たことがないです。
 『VOW』みたいなものです。ほんとにバスの中で笑っちゃうんですよ、こらえられない。その雑誌に回文のコーナーがあって、これが面白い。たとえば
住まいはほんと片田舎だがしかたがない。だがトンボはいます。
というのがある月のグランプリです。ぼくも投稿するようになって、初めて入選したのが、
遺体が眠る、胸が痛い
というやつ(注:ここは澤近さんの記憶違いでした。下記参照)。その同じ月か次の月かに、次のひどいやつが載りました。
いけん! いつもいつも、つい持つ陰茎
これがグランプリをもらったんですよ。グランプリと言っても賞金の一円も出ないんですけど。
 これすごいですね。「いつも」を繰り返すあたりがテクニカル。
 よくある回文って「てにをは」が不自然だったり、使っている言葉が「わたし……したわ」などありがちなもので、それが二十歳のころ嫌だったらしい。あまり出てこない単語を探して、「いつもいつも」から作ったんです。
 「いつもいつも」から作ったんですか。たしかにそこから作らないと、こうはならなそう。
 そう。「ついもつい」と来て、つい持っちゃうんだ、と。つい持つもので、「い」で始まるもの……(笑) 当時二十歳だったので。ひっくり返したら「いけん」となったので、はたとひざを打ちました。できたとき「やった」という感じがしました。それがグランプリで、三遊亭楽太郎(現・圓楽)さんが評をつけてくださって。
ネットで回文のサイトを見ると、「あ、これ見たことある」「40年前のやつだ」ということがあります。なかにはそれを自作のように語ってる人がいますが、「俺は知ってるけどね」と。
 『ビックリハウス』はコンスタントに投稿されてたんですか?
 何度か出しましたが、採用になったのはその二つだけで、そのうち読まなくなってしまいました。


罅ワレが後日探して見つけた、『ビックリハウス』回文コーナー「回文感興」での澤近さんグランプリの回の様子。1979年10月号。「遺体が眠る……」は翌月号掲載。初入選が「遺体が眠る……」だったというのは澤近さんの記憶違いで、こちらが初入選にしてグランプリでした。




古い温泉旅館を避けたい


 そこからは回文はもうぱったり終わっていたんですが、またやりだしたのはネットを見てからじゃないかな。ここ15~20年くらい。ネット見るとすごいのが転がっていますよね。2010年からツイッターを始めたのも大きい。そこですごい回文は流れてくるし、発表したら反応はあるし。一時期はまって毎日考えていました。でも、みなさんみたいに整理整頓していないので、今朝インタビューのために、散らばってたのを一生懸命集めてきたんです。(注:まとめたのをプリントアウトして持ってきてくださっていました。以下はそれを見ながらの会話。)
 ありがとうございます。これがとくにすごいなと。
左脳の違いが知能の差
これは初めて見たときびっくりしました。澤近さんのは、自然な日本語にしたいという意識が感じられるので、そこが自分好みです。
 よかったです。今日は、せっかくインタビューしていただくので、新作の一つや二つと思ったんですけど、ぜんぜんできない。
 いえいえ。とくに気に入られてるのは?
 (持ってきたプリントアウトの)最初のほうに書いたのは好きなんでしょうね。
 これとか。
「有ったか?」「無かった…。」
“attaka?” “nakatta.”
完璧ですね。
 私は長いのがあまり好きではないので。長いのって、増築した古い温泉旅館みたいで、床の高さが違っているところを変な勾配でなんとか合わせているようでカッコよくないなと。もちろんそういうのがなくて長いのはいいんですが、無理やりつないだ感が出ちゃうとね。
あとは、ぱっと聞くと誰も回文だと気づかないのが好きです。この、大阪で一日に一人くらいは無意識に言っている回文
あかん!約束やんかぁ!
とか。
 言ってますね(笑)
 その次に書いたのは、記憶だと、東京に雪が降ったときに気づいたものです。道路が一面雪に覆われて、マンションの前を管理人さんが雪かきしている。それで息子か誰かに「軽く手伝ってくるか」と言いながら、「軽く手伝ってくる……か……!? ああー、できた!!」って。
 この辞書っぽいのもすごい。
可算・名 :[ Hell ]奈落(つまり真っ暗なる平面・坂)
 あー辞書っぽいやつね。テクニカルな。
 澤近さんは本当に回文の人なんだなというのが、こういうのを見てもわかります。
 ルナールの『博物誌』でしたっけ。言葉を面白く定義する本。そういった感じにしたかったんですね。
「危篤」命の逝く時。
もそんな感じです。

おかしいよこのひと


 でも、自分の回文のあとに、 りゅうさん の好きなのを並べたら、あまりのクオリティに嫌になっちゃった。すごいなあ。同じ語尾で終わる言葉を探したことがあるはずなのに、一つ二つ遡って逆にした単語をなぜ彼だけが見つけられるんだろう、と。
 特別なことやってるわけじゃないはずなんだけど、できないんですよね。
 そうなんですよね。不思議だなあ。ぼくがりゅうさんを初めて知ったのは、
憎悪と愛はいつも似てた
通夜を待つ父
妻を殺った手に持つ位牌
後追うぞ…
「なんだよこれ」って。
 りゅうさんの回文で好きなのはどういうところでしょう。
 ダントツで自然だと思っていて、たとえそれが回文でなかったとしても読み物として良いですよね。たとえば
見切る愛
手からほどいた仲
やや冷ややかな態度
ほら、家庭ある君。
ちょっと次元が違いますね。これはさっきまでうっかり見落としてたんだけど、
居間のコタツが小さき巣
猫は寄るし 母くつろいだ
私大・六区は走るよ箱根
好きさ一月 凧の舞い
「私大・六区は走るよ箱根」おかしいだろ、おかしいよこのひと(笑)
 七五調になっているし。
 そうそう。
以前ネットで見つけて「わーっ」と思ったのも書いておきました。中でも好きなのはこれ。
世界を崩したいなら泣いた雫を生かせ。
どなたのか知ってますか?
 これは、短歌を作られている山田航さんという方が作られたもののはずです。こっちはコピーライターの土屋耕一さんのですね。
迂闊にダムを引く。国費を無駄に使う。
 すごい。これくらいのレベルになると作者名がちゃんとわかる。
 誰にでも作れるようなものではないですよね。
 多いんじゃないですか、なりすましじゃないですけど、自分で作ったかのように出しちゃう人が。
 それは防ぎようがないですけどね。
 ぜったいわかんないもんね。たまたまできたのかもしれないし。
 否定はできないですが、作ってる立場からすると、誰にでもできるものじゃないだろうなっていうのはわかりますよね。

音楽と回文


 この間、ブルガリア人のミュージシャンと一緒だったんですが、ブルガリアに回文はないって言ってましたね。
 へえ。
 日本語は作りやすいんですかね。我々は、回文は英語で「palindrome」だ、とか知っていますが、アメリカの人に "I make palindromes." というと、"You make ... what?" と。palindromeを知らない。あまり出てこない単語らしいです。
 日本語では不思議なくらいメジャーですよね。子供向けの絵本があったり、歌があったり。
 そうそう、歌のことなんですが(注:澤近さんが以前に作られた回文ソングがあるという情報を得たので、何か資料がないか前もって聞いてあったのです)、音源はなかったんですが、歌詞カードがありました。
『ナナモジ』

1
イカシた歯科医
しがない流し
徹夜でやって
占い習う
たまにガニ股
我が弟子出川

2
ヤバそな蕎麦屋
ダシなど無しだ!
タレ今入れた!
もしやモヤシも?
品書きが無し…
定価を書いて!

間奏

3
桃も李も
ママの意のまま
髪切る君か
片耳見たか
寝ると太るね
似たなあなたに

大サビ後 転調

4
過失葛飾
墨田ただミス
練馬でマリネ
北区肉炊き
我が名品川
中野ほのかな
豊島狭しと
千代田まだ余地
港人波
足立?ウチだぁ!

右手バテ気味
ぜんぶ七文字でできていて、ロックンロールのリズムで「い、か、し、た、し、か、い」と歌うと、バックコーラスが「ナナモジ、ナナモジ」と(笑)
 いいですね(笑) ナナモジの文がつながってるんですね。
 なるべくそんな感じで。その日はスペシャルバージョンだったので、二十三区の名前を織り込んで。一個一個は質はぜんぜんなんですが、並べることによってなんとかなるかなと。
 今後またどこかで披露される機会はないんですか?
 一日限りのスペシャルでやったのが7, 8年前。そのときはお客さんに受けたから、またやってもいいなと思うんだけど、デュオの相方が乗ってこない。
 回文だからか(笑)
 我々にとってあんまり大事なことだと思ってないフシがある(笑)
 売りにしていただければいいと思うんですが。
 回文の歌を出している方もいますもんね。
 音楽家のお仕事の合間、回文はどういうときにどうやって作られるんですか?
 インタビュー前とか(笑)
ぼくの仕事は、世間の人が思っている以上に不規則で、無茶苦茶なんですよ。編曲家というのは宿題が多い業種なんです。今日はこれからライブのリハーサルですが、プレイヤー専業の人なら、リハーサルでの弾き合わせが終わったら、帰ってから多少の復習をやるかもしれませんが、基本はオフです。でも編曲やバンドマスターは、明日やる内容をみんなに伝えるための準備など、宿題が残る。その宿題も、ゴールがあまりわからない。回文なら、ひっくり返してできたらいちおうのオッケー。そこから推敲されるとりゅうさんみたいになるんだと思うんだけど。でも編曲は、できているのかどうか、わからない。もうちょっとひねったこっちの選択肢もある、選択肢の先にもう一個ある選択肢は試さなくていいのか、と考え始めると、終わらない。唯一終わるのは、締切が来たとき。そのときまで寝るにしても、もうちょっとないのかなと思いながら寝たり、なんなら寝ないこともある。生活のリズムが皆無なんですよね。
 それはつらい。
 話は戻りますが、あまりに不規則なので、いま寝ないと睡眠時間が4時間を切るというときでも、回文を作ってしまうことがある。直前まで作業していて、何か覚醒している。そうすると、体にとっては寝たほうがいいのに、寝ないで作ってしまう。だから、どういうときに作るというのはあまりありません。ふつうは「一日の終わりにお風呂で浮かぶ」とかいう答えがありそうですが、とくになくて、ふと作る。時間がないのにずっと「もっといいのができないか」と作り続けることもあります。
 すごいですね。音楽と一体になっている生活のなかで、回文もそうやって作られているというのは、音楽と回文に何か相性のよさがあるんでしょうか。
 たとえばバッハに、譜面を逆さに演奏しても成り立つ曲がありますが、回文で辻褄がピタッと合ったときと、音楽で和音を重ねていって次の流れにぴったりはまったときとは、似た快感があることはあります。回文と音楽は、似たところを使っているような気もしますね。音楽家がみんな回文が好きかというとぜんぜんそうでもないから、テキトーなことを言っているかもしれないけど(笑)
 周りに回文をやられている音楽家はいらしゃいますか?
 三沢またろうさんというパーカッショニストが、回文の日めくりを作っていらっしゃいます。有名なミュージシャンなので、都内のスタジオに行くと壁に飾ってあったりします。

完璧なSATORを


 『ナナモジ』以外で、音楽と回文両方に関係する活動は何かされたことがありますか。
 いやーないですね。あるコンサートツアーが始まる1週間くらいまえから、メンバー7人の名前を詠みこんだ回文を一日一個ずつツイートして、最終日の自分の紹介で、
鳴るピアノに非の無いプラン
というのを出した。案の定「これって回文なんですか」と訊かれたので、「へへへ」とローマ字の読みを出したり。
Narupianoni←h
でも、そのくらいです。バッハのような、ひっくり返しても弾けるような曲を作ったら面白いとは思うんですけどね。頑張ればできるんじゃないかとは思っているんですが。この間、KANさんのコンサートに行ったら、彼も「譜面を逆さにしてもできるやつを書こうと思って頑張ったんだけどダメでした」って。KANさんも言葉とか素数とかが好きなタイプなんです。
 澤近さんにも挑戦していただきたいですね。
 やってみると難しいのかもしれませんね。りゅうさんじゃないけど、逆から読んでも美しい音楽になるようにしようと思うと、それは難しいよね。逆さにして弾くだけだったら、言葉と違ってこういうメロディなんだって言っちゃえばできてるようなもんだけど、いちおうの音楽理論っていうか、正しいとされている形で作るのは。
 楽しみにしております。ほかに、目指していきたいことはありますか。
 そこまで真剣に向き合ってるわけじゃないですが、SATOR型っていうんでしょうか、あれの5×5で、抜群にきれいなのができたらいいなと思います。(注:SATOR陣については ひざみろさんのブログ を参照のこと。)
 これは完璧だなっていうのは見たことがないですね。SATORという名前のもとになっているラテン語の回文も、そんなに綺麗ではないらしく。
 じゃあやりがいがある。探せばあるような気がするんですよ、答えが。でも、できそうで誰もできない。フェルマーの最終定理みたいなものでしょうか。
 絶妙な解はありそうな気はしますけどね。期待しています。

最後に何か読者にひとことあれば。
 良かったらコンサートツアーにいらしてください(笑)。これからASKAさんのコンサートツアーで、2月6日が初日です。全国で十数本あるので、ぜひ。左側でピアノ弾いてます。

[2019年1月談]

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