2015/08/25

[017] 回文体講座(2)


朝飯にはまた
父にゴマメ、
あたしにリブ、
子に小ぶりにした飴、
孫に乳、
タマは煮しめさあ。

[あさめしにはまた ちちにごまめ あたしにりぶ
こにこぶりにしたあめ まごにちち たまはにしめさあ]

皆さんこんにちは。第2回目の回文体講座、講師のアカギレです。
前回は、初回にもかかわらず暴走気味になってしまいましたが、受講生の皆さん俊英ぞろいで助かりました。提出していただいた宿題の解答は私自身学ぶところ大でありました。私以上に回文体に精通している方もいらっしゃるようにお見受けし、緊張を感じておりますが、本日もどうぞよろしくお願いいたします。

前回学んだことを大雑把にまとめますと
  • 一人称は「わたし」が基本
  • 助詞、副詞は適宜省略する
  • 終助詞を補う
  • 語句は長さが短いものに置き換える
などでしたね。

復習のため、宿題の解答例を、上記項目を参考に考えてみましょう。
何でも薄暗いところでニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
まず、副詞「何でも」「ニャーニャー」は不要で、削除します。「薄暗いところ」は短くして「暗がり」でよいでしょう。助詞を詰めたり語順を変えたりしてあれこれ短くし、終助詞を補えば
泣いた暗がりだけさ、記憶よ。
といった具合になります。もちろんこれは一例で、受け取った解答にはもっと上手いものがいくつもありましたよ。


さて、猫の訳ばかりでは飽きますので、今回は、太宰治『女生徒』冒頭の回文体訳に挑戦いたしましょう。テーマは、長い文をいかに短くするか、です。回文体は長い文を嫌うので、原文の一文が長すぎる場合は、それを適切に短くしないといけません。その技術を身につけましょう。

さっそく、第1文から。これはまだ短めです。
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。
「あさ」は副詞で、セオリーから言えば削除することになるのですが、時を表す一部の副詞は、残しておくのが例外的に正攻法です。「昼」「夜」「今朝」などですね。「朝」も残しておいて悪くありません。
「面白い」という語句はなかなか難しいですが、「関心」という言葉に置き換えるのが一つの手です。仮名で4字の二字熟語、とくにたとえば「○ん○ん」「○い○ん」「○ん○く」「○う○う」といった文字の並びの語句は回文体によくフィットします。「気持」のほうにもこの手を使ってみれば、次のような回文体訳に至ります。
朝、目覚めの感覚、関心あるよ。
原文の趣がまったくなくなってしまっていますが、趣まで回文体に移しかえるのは諦めましょう。回文体には回文体の趣がありますから。


第2文が今回のメイントピックです。
かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。
長すぎます。こんなに長い文は、回文体ではまず出てきません。これまでのように、出てくる語句を短い語句に置き換える、といった作業だけでは、この文はぜんぜん短くなりません。そのため、文を適当にぶつ切りにする、という方策が必要になります。
ともあれ下準備として、いったん文の長さは気にせずに、部品を回文体らしく整えてみます。
隠れ鬼で、暗い押入れ入り、友開け「見つけた!」と叫び、日が燦々とし、間悪く、胸鳴り、衣類直し、てれくささ感じ、押入れ出ていらつく感覚、否、何かより胸痛むね。
これでもまだ長いものの、かなりざっくり短縮しています。意味が分かりにくいですが、このくらいは回文体なら問題ありません。いくつか注意点を述べておくと、
  • 「かくれんぼ」はあまり回文体らしくなく、いくぶんか回文体らしい「隠れ鬼」に直しました。(意味が少し違う気もしますが、おおむね同じなのでよしとしましょう。) これもいまいち回文体っぽくないですが、改善は難しそうです。
  • 拗音(「ゃ」「ゅ」「ょ」を含む音)は極力避けるのが望ましいです。そのため、たとえば原文の「しゃがんで」は削除してあり、また、「でこちゃん」はもはや「友」で十分だと判断しています。でこちゃんごめんなさい。「でこちゃん」は「でこ」くらいにはしてあげてもよいかもしれませんね。
  • でこちゃんに襖を「あけられ」、と受動態になっている箇所は、ふつうの能動態(でこちゃんが「開ける」)に直すのが吉です。「れる」「られる」という受け身の字面が回文体らしくない、ということもありますが、受け身にすると「に」という助詞が必要になってしまうので、その点でも回文体にそぐわないのです。
さて、この長い文を分割してみましょう。分割された個々の文では、終助詞を補ったり、語順を入れ替えたりして、回文体感を増すように努めます。
余談、隠れ鬼、入るわ押入れ、暗いか。友来た、「見つけたな!」開けし叫ぶよ。日、燦々さ、悪い間ね、胸の鳴りと、衣類素で直したわ。てれくささが。や、こうも押入れ出ていらつく感覚? 否か、何かより胸痛むね。
ところどころに、体言止めの文や、体言+終助詞で終わる文を交えている点にご注目ください。回文体には述語のない文がよく合うのです。同じく、述語を使わず、文を助詞で言いさしにするテクニック(「てれくささが。」)も回文体らしいです。
また、句読点の使い方もひとひねりしてあります。本来なら句点「。」で区切りそうなところを、読点「、」で切ることによって、短い文の羅列に見えにくくしています。あまりにぶつ切りだと回文体と言えど変な感じがするので、読点の多用はよく行われます。
ちなみに、回文体らしい文の区切り方としては、他にも
  • 感嘆符「!」を使って、体言止めや助詞での言いさしを、勢いで目立たなくする方法
  • 三点リーダ「…」を使って、文を切っているのかどうか微妙な感じにボカす方法
  • 文を部分的にカギカッコでくくってみる方法
などがあります。長い回文体の文を書く際は、いろいろ工夫してみるとよいでしょう。


……やや、今日もまた時間が来てしまいました。長文だったとはいえ、2文しか進まず恐縮です。2文目で使っている細かな手法いくつかについては、もう少し解説したかったのですが。じきに解説しますので、今日のところはご了承ください。
本日のまとめをしておきましょう。
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。

朝、目覚めの感覚、関心あるよ。余談、隠れ鬼、入るわ押入れ、暗いか。友来た、「見つけたな!」開けし叫ぶよ。日、燦々さ、悪い間ね、胸の鳴りと、衣類素で直したわ。てれくささが。や、こうも押入れ出ていらつく感覚? 否か、何かより胸痛むね。
宿題は『女生徒』の次の文にしたいと思います。講座第2回目にしては高度すぎる気もしますが、きっと皆さんなら難なくこなしてくださるでしょう。容易、難関なら解くよ。


今回の宿題
次の文を回文体訳してください。
「箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。」

9 件のコメント:

  1.  以下、緻に
    「中に(中に(中に(中に(中に(無い!)何か?)何か?)何か?)何か?)何かな?」
     にちかい。

     すみません「回文っぽい回文体」ではなく回文にしてしまいました。
     図解っぽいですが、数式で書きたいですね。

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    1. なるほどー意表外の方向から来ましたね。冒頭はイマイチな回文体っぽい感じに仕立ててあり、どうもどうも。
      回文で線状性を崩す試みとしては格好の題材だったかもしれません。こういうのが意味的に自立するようにできるとよいのですが、難題です。

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  2. ダックス2015/08/26 9:18

    アカギレ先生の講座、心待ちにしておりました。
    まったく意識せずにいた要素も多々あり、
    回文体から遠ざかりたいともがいている身には、学ぶところ大でした。
    宿題は

    ワイなら【「マトリョーシカ!? 憂く…」箱七重さ。閉めとかぬが、スカ…】感な。

    感嘆符と三点リーダとエセ関西人なしでは、私の回文は成り立ちません!

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    1. マトリョーシカ、いいですね。そういう圧縮方法があったかーという感じです。あと、対応して出てきた「ワイなら」もなるほどです。回文の「なら」は、こういう論理的に不思議な使われ方をよくされますよね。
      どういうわけで回文に関西弁が頻出するのかは謎です……たしかにそれも回文体の一つの特徴ですね。

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  3. 本日、アカギレ先生(そっくりな方?)に拝謁し、たいへんうれしゅうございました。
    では、難しい宿題に取り組ませていただきます。


    何個、箱、あるか。終い、小さきダイスか。空かいな。(なんこはこあるかしまいちいさきだいすかからかいな)

    失礼しました。

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    1. カッコ書きでひらがな表記を入れてあるところにまず膝を打ちました。かな書きは不要なはずなのに、これだけでやたらと回文っぽい。全体のまとめ方も巧いと思います。アカギレ先生の用意している解答となんか近いかも。(ちなみに彼は初老の紳士で、私とは似ていないはず。)

      今日はこちらこそお目にかかれて光栄でした。今後ともよろしくお願いいたします。
      (ここに書いてもしょうがないけど、みィさんに話すべきことがあれこれあったのですが、人見知りが高じてぜんぜん話せなかったのを無性に後悔している今)

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  4. モーリー2015/11/19 1:26

    近い、「幾重入れ子、中、小さい賽ある」感覚よ。

    回文体を真剣に議論する、面白いですねこのシリーズ。

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    1. モーリー2015/11/19 1:32

      あ、結局空っぽだったのかw

      「幾重入れ子、中最後、小さい賽サイズ箱。しかし空か」感覚近いか。

      とでもしてみるか。
      アカギレ先生の解答も面白かったです。

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    2. 文字数の方で盛り上がりすぎて返信してなかった、コメント&宿題のよくできた解答ありがとうございます。このシリーズ、アカギレ先生はだいぶ気合入ってましたね。また日本に帰ってきてくださらぬかなあ。

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