2015/06/18

[007] 美しい回文(1)


良い芋・高いお肉、小柄なオイラ食いし晩、
芳しいくらいオナラが濃く、匂い方もいいよ。

[よいいも たかいおにく こがらなおいらくいしばん
かんばしいくらいおならがこく においかたもいいよ]


よい回文を作るには、回文頻出パターンや回文技術を身につけることももちろん大事ですが、同じく大事なこととして、「鑑賞眼を養うこと」、別の言い方をすると「回文の良し悪しの基準を自分なりにもつこと」というのがあるんじゃないかと思います。ひとつの回文が出来上がるまでには、途中経過でいくつかの回文が副産物として生じるのが普通ですし、また、出来上がった回文も少しいじればまた別の回文に作りかえられます。したがって、回文の良し悪しの基準がいまいちだと、「これでよし」と思って完成とみなした回文の、ほんのちょっと先にあるよりよい回文を見落とすことになるかもしれません。基準、大事ですなあ。

回文技術の上達のなさには相変わらず歯がゆさを覚えております私ですが、良し悪しの基準については、以前に比べるとそれなりに明確になってきたと自覚しています。まあそれが明確になったところで技術が伴わないので、ただ寡作になる一方で悲しい限りなのですが……それはさておき、その明確になったところを言語化してみると何かしら得るものがあるだろうと思い、記事にしてみる次第です。ただ、私の基準はたぶんかなり極端でおかしなことになっていて、賛同が得られにくそうな気はしますけど。何かの参考程度になれば。

上記の回文は、例のラジオ番組の回文コーナーで、お題が「芋(いも)」だったときに投稿して、めでたく採用されたものです。相当時間をかけてこの形に至っていて、なかなかのまとまり具合で決して悪くないとは思うのですが、番組への投稿前に、これで完成でいいのかと悩んでいろいろ推敲した挙句、よくならなかったのでそのまま投稿した、という経緯があります。

気になっていた点はたとえば以下の点:

(1)「食いし晩」と、過去の晩の話をしているのかと思いきや、「匂い方もいいよ」と急に現在の話になっていて、文がつながっていません。助動詞「き」がちょっと古い日本語であるために、意味がぼやけてそれほど違和感を感じさせない可能性もありますが、私の感覚ではどうも引っかかるので、直したいなあと思っていました。
これは、改めて考えると、「食いし晩から」とすればよかったように思います。「食べたあの晩からずっと」ということになって、時制のおかしさが消えるはず。やや分かりにくくなるかもしれませんが。

(2)「芳しいくらいオナラが濃く、匂い方もいいよ」というのは、言葉の流れが滑らかで、気に入ってはいるのですが、冷静に考えるとなんだか意味が分かりません。どうも変ですよね。これは実際は、語順を入れ替えて「オナラが濃く、芳しいくらい匂い方もいいよ」という意味だと考えるべきであろう。でも、言葉の滑らかさにカバーされて、実はこれは自分でもそれほど気にならないです。なーんだ。

(3)いちばん気になるのは「小柄」の語です。……大抵の方にとっては、なんのこっちゃ、という感じだとは思いますが、説明しますと、この回文において、オイラが「小柄」であることをわざわざ述べている理由がよくわかりません。「大柄」にしたところで文章の上では何の問題もありません。単に回文でなくなるだけです。なぜここで「小柄」と言う必要があったか説明をつけるためには、回文の外から何か補足をする必要があるでしょう(「通常は大柄な人が芳しい匂いをさせるものなんですよ、これが……」とかなんとか)。つまり、回文がこの「小柄」の一語のおかげで“完結していない”のです。

この「完結性」が達成されると、自分の目にはかなり美しく見える回文になるので、なるべくそこを目指したいのですが、なかなか難しいもので、どこかで妥協してしまうのが常です。でも、自分なりの基準を持ってそこになるべく近づけるようとする、というのが重要なんじゃないだろかと思ってます。

次回に続きまーす。

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