2015/08/02

[015] 回文体講座(1)


猫とオタ的アニメ夜観る、嫁に飽きてた男ね。

[ねことおたてきあにめよるみる よめにあきてたおとこね]

皆さんこんにちは。今日から始まります回文体講座、講師のアカギレです。
回文体が使用される場面はこのところ驚くほど増えています。目にしない日はないと言ってもいいくらいです。皆さんのなかには、日ごろ積極的に使っている、という方もすでにいらっしゃるかもしれませんね。
言葉遊びの「回文」を起源にもつ文体である回文体ですが、味わいあるリズム、非日常的な格調が市民権を得て、今や回文だけにとどまらず、手紙や広告文、ベストセラー小説からトイレの張り紙にいたるまで、いたるところで用いられるようになっています。回文体の練習書も書店に並んでいますね。一歩進んだビジネスパーソンのスキルとしても認知されつつあり、街の語学教室が開講した「社会人のための回文体教室」も賑わっていると聞きます。
この講座では、「実践的回文体講座」のタイトルを掲げ、回文体のいろはから進んだ用法までを、徹底して実践的に解説し、立派な回文体が流暢に使いこなせるようになるまで、皆さんを導いてゆきたいと思っています。何とぞよろしくお願いいたします。
なお、あらかじめ断っておきますが、この講座は回文体の講座であって、言葉遊び「回文」を作るための講座ではありません。回文を作るのを趣味とする方から苦情が入ることが予期されますので、念のため注意しておきました。

今日は、講座の皮切りに、夏目漱石『吾輩は猫である』の冒頭の回文体訳を試みることから始めます。これを通じて、さまざまなタイプの文を単純な回文体に直せるようになるとともに、普通の言葉と回文体との違いが明確に認識されるようになると思います。


『吾輩は猫である』回文体訳、さっそく第一文から始めましょう。
吾輩は猫である。
「吾輩」という一人称が出てきました。回文体における一人称で、「吾輩」を使うことはありません。8割がた「わたし」を使います。ときには「あたし」あるいは「あたい」となったりもしますし、「わい」「わし」なども使われますが、ここでは、奇をてらわず「わたし」にしてみましょう。
次に助詞の「は」が出てきますが、これは略してかまいません。むしろ、略さないと、回文体としては若干不自然です。助詞は略すこと、これを基本と考えてください。
最後の「である」はまったく不要です。「である」が入った時点で回文体としては失格と言ってよいです。
この段階で、冒頭の一文は
わたし、猫。
このようになりました。これで完成でもかまわないのですが、最後に間投助詞・終助詞をつけると、ぐっと回文体らしさが増します。
わたしさ、猫ね。
これを見て、日本語として不自然になったのではないか、「猫よ」とかのほうがいいのでは、と考える方もいるかもしれません。それは初学者にありがちな考え違いです。回文体では、終助詞はあってないものと考えられているため、このケースでは、「ね」だろうが「さ」だろうが「や」だろうが、普通ならどう考えたっておかしい「か」でさえ、使って不自然とは見なされません。1文字の終助詞は無差別に使えるとご記憶ください。
終助詞として「ね」を選んだのは、「猫」の頭文字と呼応させるためです。音の呼応はおいおい感覚的に身についていくと思いますが、同じ音を1字離して近接させると、ぐっと回文体感が出てきます。


では次の文に移りましょう。
名前はまだ無い。
「名前」という名詞は、このまま使ってもおかしくはないものの、同じ意味の語でより字数が短いものがあれば、そちらにしたほうが回文体的になることが多いです。「名」にしてみます。
「まだ無い」ですが、「まだ」は削除することにしましょう。回文体は1文が短いほうがそれらしいので、削除しても文意のさほど変わらない副詞は、思い切って削除しましょう。
「無い」は、音の呼応の原則からして「無いな」としたいところですが、一歩踏み込んで「無いなあ」とするとよいです。音を伸ばしたりドモったりするちょっと苦しい感じ、これが回文体の味わいです。
これで
名、無いなあ。
となります。さらにこれを倒置して
無いなあ、名。
とするのもよい手です。主語と述語がこの順序で出てくる必要はなく、むしろときどきひっくり返すのが回文体です。


さて、次に進みましょう。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
まず「見当がつかぬ」ですが、否定形でまず覚えるべきパターンは、「否……ない」という係り結びと、「……んな」という文末の形があります。ここでは後者を使ってみましょう。「見当がつかぬ」は、たとえば「知らんな」とか「分からんな」とするのがよいでしょう。
「とんと」は、文字の並びが回文体的なので、そのまま使いたい欲求が湧いてきますが、回文体の語彙としては特殊であるため、削除するのが賢明です。原文の副詞は、よほどのことがない限り、とりあえず無視してかまわない、と心得ましょう。
「どこで生まれたか」、このような複雑な構造の日本語は回文体では出てきません。そこで、似たような意味を表す名詞をあれこれ考えて、なるべく字数が少ないもの、なるべく回文体らしいものを選んでみましょう。「生まれ」「生誕地」「出生地」「生地」「ふるさと」「出自」「バースプレイス」などありますが、おそらく「田舎」がベストな選択だろうと思います。多少意味が分かりにくくなりますが、読み手に意味が通じないかもしれない程度の分かりにくさが回文体っぽい、とお考えください。


……やや、時間が来てしまったようです。これはいけません。3文しか進んでいないのに。急いで今日のまとめをいたします。普通の文章との違い、よく味わってみてください。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。

わたしさ、猫ね。無いなあ、名。
田舎、知らんな。

講座初回にしては深く語りすぎた感もあり、説明が不十分であったかもしれず、お詫びいたします。これに懲りず、また次回も聞きに来ていただけたら幸いです。参加頼んだよ。


今回の宿題
次の文を回文体訳してください。
「何でも薄暗いところでニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」

10 件のコメント:

  1. ダックス2015/08/02 21:41

    なんという面白くて(私が)恥ずかしい講座でしょうか!背中がムズムズします。
    あまり講座内容にのっとっていなくて申し訳ありませんが、
    「暗いし鳴きよる過去のみ記銘したわ」的な回文を作りがちな私です。

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    1. > 「暗いし鳴きよる過去のみ記銘したわ」
      さすが! すごい回文っぽい! 一瞥して、回文かと思ったのですが、よく見たらぜんぜん違いました。なんかわからないけど奇妙な感動を覚えております。「鳴きよる」がいい味を出していますね。

      ところで、恥ずかしいことはたぶんぜんぜんなくて、回文体は避けられるなら避けたいものの、回文が回文のルールに則っている以上、みな(私も含め)ある程度は必ず回文体の引力に引かれてしまうものだろうと思います。そういう状況を一歩離れて見てみるとなんか面白いよね、という感じの講座でございます。

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  2. なんだか魅力的で、読み込んでしまいました。でも、宿題は難しいです。
    「ちと暗き場の咆哮の時 残るよ」
    咆哮(ほうこう)のように同じ音が入る単語を遣う傾向があります、私…。
    ………今後の講座で上達いたしたい次第です。

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    1. なるほど! 「残るよ」はとても回文体らしいですね。ダックスさんの「記銘したわ」も感心しましたが、「残るよ」も負けず劣らず。
      「同じ音が入る単語」は、講座中の
      > 同じ音を1字離して近接させると、ぐっと回文体感が出てきます
      と関係がありますね。ABAという文字の並びを入れるのは、回文をうまくまとめるための技術のひとつだろうと思います。私もよく使いますです。
      解答にあえて難を言えば、「の」が続けて出てきていて、「助詞が上手く使われすぎてる感」があるかもしれません……回文体ややこしす。

      当初は半ばジョークの感もあったこの講座ですが、存外に興味深いものがあることがわかったので、アカギレ先生に頼んでしばらく講座の掲載を続けさせてもらおうかと思っております。私も上達いたさなくては。

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  3. 回文体は、なるほどですね。私はいつも意識的に避けるんですけど。
    敢えて回文体にするというのもたまにやっておかないといけないかなと思いました。
    作風が薄れるのでTwitterの回文クラスタでやってる覆面回文企画に効果的かもです。

    「暗がりで泣いていた記憶あるよ」
    ……難しいですね。

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    1. コメントありがとうございます。igatoxinさんもやはり上手いですねえ。
      > 「暗がりで泣いていた記憶あるよ」
      は、「うまい人が作った回文にほんのり漂う回文体」という感じが出ていて素晴らしいです。

      あえて回文体を書いてみると、回文ではまず出てこない「普通の文章の特徴」が意識されるので、そこから新しい回文が生み出せそうな予感がするのが、個人的には楽しいです。
      あと、ひとくちに回文体と言っても、人それぞれある程度の個性がある感じもしますね。そういうことまで分析できるようになったら面白そう。

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  4. 楽しいので私も参加。
    「う、暗いとこ泣いとった記憶のみか」
    アカギレ先生の講評待ちます。O太郎

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    1. なぜか匿名でのコメントありがとうございます。O太郎さんもさすが!
      アカギレ先生にいまSkypeでコメントもらいました。

      「……とった」も「のみか」も秀逸ですが、とくに素晴らしいのは「う」の使い方です。文末に置かれる終助詞の用法の逆で、文頭に1文字を置くこのパターンは、たいへん回文体らしい味わいになります。講座でもそのうち解説するつもりでしたが、すでに使いこなされているのはまことに喜ばしいことです。

      絶賛していました!

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  5. こんにちは。
    当たり前かも知れませんが
    「回文体のさかさま」も回文体っぽくなるのではないかとおもい
    ためしにみなさんのをひっくりかえしてみました。

    「わたしイメ、君の転かる予期無し、胃楽」
    すこし手を加えて
    「わたしイメトレや、君の転かる予期無い、楽
    (暗い鳴きよる過去のみ記やれと銘したわ)」

    「夜 この気と濃厚、ほの場 気楽土地」
    …ほの場を「この場」にしたかったですが。
    「暗い」を「暗ひ」と書けば、気楽土地を「開く土地」に出来て
    ひょっとすると良いかんじになるのかも知れません。

    「夜 明く、起きたい体な デリが楽」
    「大抵なデリが楽」なのかも知れません。

    「神の苦を着、尊い那子とイラ喰う」
    すこし手を加えて
    「神の服を着、尊い那子とミイラ喰うし
    (う、暗い御床、泣いとった記憶(譜)のみか)」

    無茶苦茶ですみません。

    あと本講座をよんでおもい出したのですが、ぐうぜんにも
    わがはいは猫であるを全て回文で書き直す
    というのをこころみかけた事が有ります。
    全体で回るのではなく、
    都合よくきれば きれた文は全て回文です という様な。
    われわ、
    ネコね。
    無い…名だ前まだ無いな。
    というかんじに(これは今作ったものですが)。
    回文体ですね。

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    1. こんにちは。回文体だと、逆から読むと局所的に日本語らしくなっている可能性が高い、という特徴はきっとあるでしょうね。逆読み全体が回文っぽい感じになっている、というのは、元が回文体であることには限らないかもしれません。
        類て敷く沖は毛だ。床、大抵な、「綾に綾に」で、理が楽も出んな。
        威なら名果てし顔折れ孤這う湯時、「Non、死有より美よ」応訴し。
      うーん気持ち悪い。こういう無茶苦茶な方向は、これはこれで回文ぽいのですが、あまりに何でもありなので、分析するのは「回文の制約の中で頑張って意味を通じさせようとした結果現れる文体」にしたいところ。

      何かを回文に直そうとするとき、『吾輩は猫である』を選ぶのは自然なんでしょうね。たとえば:
      https://twitter.com/who_medi/status/191192277987758080
      誰でも出だしを知っている文学作品というと、なかなかないですからね。

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