2015/06/27

[010] 美しい回文(4)


大便せる股に出でで胃に溜まる煎餅だ。

[だいべんせるまたにいででいにたまるせんべいだ]

回文の意味が分からないという声もよそに、今回も引き続き、自分なりの基準について語ります。

自分の良し悪しの基準は時とともに変わってきていて、昔なら余裕で公開してたものを今は躊躇したり、その逆ということもあったりしますです。たとえば この 回文:
ぬれ煎餅は、排便せれぬ。
意味は分かります。面白いかもしれません。が、「せれぬ」はどうかなあ。昔の自分は、記事の中で謎の開き直りをしています:
文法的には、「排便されぬ」か「排便せられぬ」かですよね。ら抜き言葉というやつですか。まあその辺はテキトーなのです。
どういうことよ。

回文は言葉の制約がとても厳しいため、直感的には、文法違反が多発しそうな気がします。が、世の中の回文を見渡してみるに、助詞の脱落・語順の転倒・奇妙なコロケーションなど、不自然な日本語はあまた見つかれど、文法がおかしくなっている回文、とくに、動詞・助動詞などの活用を間違っている回文は、ほとんど見当たりません。これはよく考えてみれば当たり前かもしれず、たとえば「行かない」を「行きない」と言ったり、「寒かった」を「寒くた」と言ったりする回文があったとしたら、そもそもそれは日本語として認めがたいでしょう。回文のルールとしてはっきりと書かれはしないものの、「文法遵守」は暗黙の掟とされているようです。

ところが、回文で文法違反が目につく例外的なケースがあって、それは、古語を用いる場合です。現代語ならば、文法の知識がなくとも、ふつうの言語感覚を持っていさえすれば「『行きない』はおかしい」と分かりますが、古語だともはやたいていの人には言語感覚がないため、文法違反にあまり抵抗感が持たれていない、ということかと思われます。「排便せれぬ」を公開した当時の私も、「せれぬ」に「行きない」ほどの違和感を感じなかったため、「まあ間違っていることは分かってるけど、回文の不自由さよ、このくらいならきっと許してもらえるだろうから出してしまえ」という気分だったに違いありません。

よく見かける文法違反は、
  • 形容詞の連体形と終止形を取り違えるパターン(「悲し仲」……正しくは「悲しき仲」)
  • 助動詞「き」の連体形と終止形を取り違えるパターン(「問いき生糸」……正しくは「問いし生糸」)
あたりです。

これらは、「古語だと文法違反をしても違和感がない」ということを利用して、文法違反を回文作成におけるテクニックとして用いている、という見方もできて、まあ多少はいいかなあという気もしています。が、「違和感がない」というのは古語に対する教養のなさゆえなので、教養のある人が見るとどう感じるか、ということを近頃の私は考えてしまい、最近は、古語でも文法違反はしない、「せれぬ」とかダメよ、ということにしております。

というわけで、「せれぬ」を使わずにほぼ同義の回文を作ってみたのが、標記の回文でした。意味が分かりにくい気はしますが。というかそもそも、自分が気がついていないだけで、文法違反があるかもしれませんが。

4 件のコメント:

  1. 私も教養が無いので古文の教科書で調べました。
    「大便せる」はサ変動詞「大便す」の未然形「大便せ」+完了を表す助動詞「り」の連体形、であろうかと思います。標記の回文の現代語訳は「大便した股に出ることなく胃に溜まる煎餅だ」ということになるでしょうか。
    さすが罅ワレさん!という流れなのですが、古語の回文は作る方も読む方も苦労が多くてその割には報われませんねえ……。

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    1. 分析ありがとうございます。意図がちゃんと伝わって嬉しい限り。よかったよかった。
      さらに解説すると、「出でで」は、下二段活用動詞「出づ」の未然形「出で」+否定の接続詞「で」、となると思われます。回文中央部でいろいろ悩んだ結果、このシンプルな形に至ったときはちょっと嬉しかったです。でも報われませんねえ……

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  2. ダックス2015/06/27 18:38

    はじめまして。毎週ラジオで罅ワレさんの回文を楽しみにしている者です。
    自分も古語(というよりも古語風のなにか)に抜け道を見つけようとすることが多々あるので、とても興味深く読ませていただきました。
    教養とは縁遠い日々を送っているせいか、「せれぬ」に違和感を覚えないどころか、「出でで」の方に新鮮な響きを感じてしまう有様です。なんと頼りにならないセンサーでしょうか。
    これからは「安易な古語処理はつまずきのもと」と肝に銘じ、精進致します。

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    1. ダックスさんはじめまして! こちらこそ発想豊かなダックスさんの回文をいつも楽しみにしております。「佐賀支部」は傑作でしたなあ。
      そしてコメントどうもありがとうございます。励みになります。今後もよろしくお願いいたします。

      私も、「出でで」は本当にこれでいいのか不安になって、Googleで調べましたら、更級日記に出てくる「月も出でで……」という和歌が見つかり(無教養ゆえ知らなかった)、どうやら正しいようだと判断した次第です。
      古語を使うのは時としてかなり有効ですが(旧版にそのことを書いた記事があるのを思い出しました:http://d.hatena.ne.jp/tsukene/20080617/p1)、使い方はなるべく注意したいですよね。

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