2019/05/19

[046]音ルールとは何か(2)


「【ヨーヨー】? 【ヨーヨウ】? 【ヨウヨウ】? 【ヨウヨー】?」
「【ヨーヨー】よ」

[よーよーよーようようようようよーよーよーよ]

前回 に引き続き、「回文とは“音を逆読み”したときに元と同じになる文だ」という考え方、いわゆる「音ルール」について考えます。

前回の結論は
音ルールによる回文とは、「拍単位・音素表記回文」である。
というものでした。

復習すると、たとえば「茄子は食わすな」は拍単位・音素表記回文になっています。というのは、次の音素の記号(『日本語 新版(上)』金田一春彦、岩波書店)によってこれを表記すると:
母音 a, i, u, e, o
半母音 j, w
子音 k, s, c(ツの子音), t, n, h, m, r, g, ŋ(ガ行鼻音の子音、これを使わない人もいる), z, d, b, p
特殊音素 N(撥音「ん」), T(促音「っ」), R(長音「ー」)
「茄子は食わすな」は「nasuwakuwasuna」となり、これを拍単位で区切ると「na-su-wa-ku-wa-su-na」となって、逆から辿ると同じになるからです。

今回は、このように定義した音ルールで、どのような文が回文になるのかを具体的に見ていきます。

拍単位・音素表記回文の特徴


拍単位・音素表記回文は、通常のひらがな表記による回文と似ています。「竹やぶ焼けた」「新聞紙」「さっきの喫茶」などはどちらのルールでも同じように回文になります。(拍単位・音素表記ではそれぞれ「ta-ke-ya-bu-ya-ke-ta」「si-N-bu-N-si」「sa-T-ki-no-ki-T-sa」。)

このふたつのルールのうちの一方では回文になるが、もう一方では回文にならない例には、たとえば拗音を使った文があります。「趣旨」は、ひらがな表記「しゅし」では回文ですが、拍単位・音素表記では「sju-si」となり、逆から読むと「si-sju」すなわち「ししゅ」で、同じになりません。逆に、「シュシュ」は、ひらがな表記では回文ではありませんが、拍単位・音素表記では回文になります。この点では、拍単位・音素表記回文は、通常のひらがな表記回文よりも、「拍単位回文」、正確に言うと「拍単位・ひらがな表記回文」に似ています。拍単位・ひらがな表記では「シュシュ」は「しゅ-しゅ」となって、たしかに回文になります。

ほかの例としては、「茄子は食わすな」のように、助詞の「は」「へ」「を」が入った文があります。「茄子は食わすな」はひらがな表記では回文にならず、拍単位・音素表記では回文です。逆に、「烏賊は破壊」はひらがな表記では回文になり(いかははかい)、拍単位・音素表記では回文になりません(i-ka-wa-ha-ka-i)。

似たような違いが「ぢ」「づ」の扱いにも表れます。「鯛好きと気づいた」は、ひらがな表記では回文にならず(たいずきときづいた)、拍単位・音素表記では回文です(ta-i-zu-ki-to-ki-zu-i-ta)。

もうひとつの大きな違いが、長音です。たとえば、「造花を買うぞ」という文を考えます。これは、ひらがな表記では回文なのですが(ぞうかをかうぞ)、拍単位・音素表記では回文になりません。それはひとつめの「う」が長音なのにふたつめはそうではないからで、実際、拍単位・音素表記では「zo-R-ka-o-ka-u-zo」となります(長音は、上記の音素の記号では「R」で表すことになっています)。逆に、「ハートを踏破」という文は、ひらがな表記では回文になりませんが(はーとをとうは)、拍単位・音素表記では回文になります(ha-R-to-o-to-R-ha)。

音素表記にもいろいろ


音素のややこしい(が面白い)点は、学者によって体系の作り方に違いがあるところです。上記の音素一覧は金田一春彦の本からとったものでしたが、『言語学 第2版』(風間・上野・松村・町田、東京大学出版会)では次のようになっています(上の表に体裁を合わせて並べ直しています):
母音 a, i, u, e, o
半母音 j, w
子音 ', k, s, c, t, n, h, m, r, g, ŋ, z, d, b, p
特殊音素 N(撥音「ん」), Q(促音「っ」)
ほとんど同じなのですが(促音の記号が違っていますがそれは細かい話)、大きな違いとして、まず、「 ' 」という音素が立てられていることがあります。これは、ア行・ヤ行・ワ行につく「子音」を表す音素の記号で、たとえば「あ」は「'a」、「わ」は「'wa」となります。

もうひとつの重要な違いは、長音を表す記号がないことです。では長音はどう表すかというと、上掲書には
長音は同一母音の繰り返しの/-aa, -ii, ……/で表される。
と書かれています。つまり、たとえば「造花を買うぞ」なら「zooka'oka'uzo」、拍単位で区切れば「zo-o-ka-'o-ka-'u-zo」となる、ということです。「ハートを踏破」なら「ha-a-to-'o-to-'o-ha」。いずれも回文になりません。問題なく回文になりそうな「ユー・ラブ・ラー油」もこの長音の扱いでは回文になりません。最初の長音がウ行長音なのに、ふたつめはア行長音で、「yu-u-ra-bu-ra-a-yu」となるからです。他方、「道路とロード」はこの長音の扱いでも回文です。これは両方オ行長音で「do-o-ro-to-ro-o-do」となるからです。

「綺麗なエレキ」は、この長音の扱い方によって回文になりそうなのですが、上記の音素「 ' 」が利いていて「ki-re-e-na-'e-re-ki」となり、微妙に回文になっていません。(「 ' 」は無視してよいことにすれば回文になります。このルールはけっこうおもしろいと思います。「孤島の男」(ko-to-o-no-o-to-ko)とかも回文になります。)

したがって長音については、ふつうのひらがな表記の回文と、2とおりの音素表記の回文とで、少なくとも3つの考え方がある、ということになります。「造花を買うぞ」「ハートを踏破」「道路とロード」のそれぞれ、ひとによって回文と見なしたり見なさなかったりさまざまでしょうが、どれについても回文だと主張する理屈はあるわけです。

次回予告


いろいろな回文のルールについて考えてきました。あるルールでこの文は回文になる、この文はならない、という例をあれこれ挙げてきましたが、実際には、いろいろなルールがごっちゃに使われることがあります。たとえば、『軽い機敏な仔猫何匹いるか』(土屋耕一)には次の回文が載っています。
藤原定家、と買い手らは自負
これはひらがなで書けば「ふじわらていかとかいてらはじふ」となって「わ」と「は」が食い違っているので、音ルールでの回文っぽいのですが、一方で「定家」は2拍めは長音で、上に議論してきたような音ルールでは逆読みが「買い手」と対応しません。したがってこの文は、ふつうのひらがな表記ルールでも回文にならないし、音ルールでも回文にならないことになります。あるいは、ひらがな表記ルールと音ルールとが混在している、とも言えます。

このような回文を扱うには、ルールを厳格に捉えずに少し緩める「緩和規則」という考えが有用です。これについて次回書きます。

4 件のコメント:

  1. 藤原を「ふじわらの」にしちゃうと回文にならない

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  2. 「映画館は繁華街へ」
    私の最近のスタンスは「読みにおいて完全」な回文は追及する意味合いが薄いので「緩和規則の一種」として「助詞 は」を「わ」と同一視するのような規則があり得るという感じです。

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  3. 前編において「読み一単位に対応する見えない記号の列」という考えに感銘を受けました。
    記号論における能記のこととか考えを深めていけそうです。

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    1. 「ふじわらの」ご指摘ありがとうございます、間違えた。直しました。
      感銘受けてくださったとのこと、ありがたいです。ぜひさらに深めていただければ。
      「わ=は」は緩和規則と考える場合が多いでしょうね。回文とは逆から読んでも音が同じになる文、という定義を突き詰めて考えるとこうなる、というのがこの記事でした。緩和規則は次回考えます。

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