「カギ」か「ガキ」かの指南、
テンテンなしの「カキ」がカギか。
[かぎかがきかのしなんてんてんなしのかきがかぎか]
次の文が、回文とみなされる場合があります。
出しました。
これは、「だ」と「た」を同じと見なせば回文になっています。この流儀はかなり一般的で、書籍にもしばしば登場します。
このような文を回文と見なすとき、よくある説明は、通常の回文のルールに加えて「ただし、濁点は無視してよい」という特殊ルールが適用されていると考える、というものです。よく「清濁変換あり」などと呼ばれているルールです。
追加規則――緩和規則と強化規則
回文ではこのように、なんらかの(たとえばひらがな表記回文という)ルールをベースにしつつ、それに特殊なルールを追加して考える、ということがしばしば行われています。上記の「出しました」は、ひらがな表記ルールをベースに「清濁変換あり」という特殊ルールが追加されているわけです。このような特殊ルールのことを、ここでは「追加規則」と呼ぶことにしましょう。
追加規則には実は2種類あります。ひとつは上記の「清濁変換あり」のように、ベースとなるルールを緩める方向のもので、しばしば「緩和規則」と呼ばれます。濁点を外してよければ、通常は回文にならないものが回文になるので、縛りが緩和されている、というわけです。 「清濁変換あり」以外によく使われる緩和規則には、「小書きの文字を普通の文字と同一視してよい」(「よしましょ」など)、「助詞の「は」「を」「へ」を「わ」「お」「え」と同一視してよい」(「オーダーを」など)などがあります。
(なお、緩和規則なしで、純粋にベースとなるルールのみを使って作った回文を「完全回文」といいます。たとえばひらがな表記回文をベースとする場合、「出しました」は完全回文ではなく、「足しました」は緩和規則なしで作られているので完全回文です。)
追加規則のもうひとつの種類は、緩和規則の逆で、ベースとなるルールをきつくする方向のものです。これに名前がついているのを見たことはありませんが、ここでは「強化規則」と呼ぶことにしましょう。……と名前をつけてはみたものの、実際に使われているのを見たことがある強化規則はひとつしかありません。それは、ひらがな表記の回文で「「wa/e」と読む「は/へ」と、「ha/he」と読む「は/へ」を同一視してはいけない」というものです。通常のひらがな表記では「鯛は吐いた」は回文になりますが、2つの「は」の読み方が違うのでこれを回文と見なさない、という規則です。
追加規則の実例その1――『軽い機敏な仔猫何匹いるか』
以下では、回文の本を2冊取り上げて、そこでどのような追加規則が用いられているか(と言っても以下では緩和規則しか出てきませんが)を具体的に見てみましょう。
ひとつめは回文の古典、土屋耕一『軽い機敏な仔猫何匹いるか』(1972、誠文堂新光社)です。この回文集の前書きには、ルールについての注記があります。少し長いですが引用します。
私が、この本でお見せする回文は、そういう〔鎌倉時代の歌人の作、お正月の宝船に添える歌など〕先人の残したものの伝承なのですが、ただ、すこし作り方を、今様に変えたところがあります。
それは仮名づかいで、とくに濁点の処理を現代表記に従ってやるところが相違と言えるでしょう。昔の表記は、言うまでもなく濁点についてはまったく自由です。たとえば「ふと逃げた鶯低う竹にとぶ」のように、これをもし今日の表記でいったら「フトニゲタ」の反対は、決して「タケニトブ」にはならないわけで、濁点は、返ったときも濁っていること、というのを、私のルールにしました。
また、古いものには「寝てふざけ教師と娼妓今朝ふて寝」のように、真ん中の部分が「キヨウシ」と「シヨウキ」になっていて拗音のつかい方にかなり乱暴な例も多く見られます。これらも出来るだけ、忠実に作ったつもりです
ただ、なかには、ちょっと無理をした句もいくつか入ってしまいました。厳格にフルイにかけられなかったのは、私の甘さかもしれません。
「清濁変換あり」は使わない、とはっきり宣言したうえで、しかし厳格にできなかった回文、本記事の言い方で言えば緩和規則を使わざるを得なかった回文がある、と言っているわけです。厳格になっていないと考えられるものは、分類すると以下の4種あります。
- 小書きの文字を普通の文字と同一視する……「記者の屋敷」、「喫茶さつき」など。
- 助詞の「は」「を」「へ」を「わ」「お」「え」と同一視する……「数は僅か」、「飯を惜しめ」など。
- オ行長音、エ行長音を、「お」「え」で書く……「リヤ王の大槍」(「りやおおのおおやり」と表記する)、「抵抗は 戸毎人毎 派を超えて」(「てえこおは とごとひとごと はおこえて」を表記する)など。
- 「ず」と「づ」を同一視する……「貧しく髪が湯にゆがみ かくし妻」、「とんとんと 削る古漬け とんとんと」など。
追加規則の実例その2――「愛のウロボロス」
もうひとつの実例として、『龍の物語』(1987、新宿書房)所収の回文、武田雅哉作「愛のウロボロス」を取り上げます。これはとにかく長い1つの回文で、文字数はなんと1716字です(どう文字数を数えるか微妙なところがありますが)。この回文は緩和規則が激しく用いられており、納得しやすいのもしにくいのもあって、緩和規則見本市の様相を呈していて面白いです。リストすると、以下の10種があります。
- 小書きの文字を普通の文字と同一視する。
- 助詞の「は」「を」「へ」を「わ」「お」「え」と同一視する。
- オ行長音、エ行長音を、「お」「え」で書く……「謳歌」を「おおか」とする、など。
- 「じ」と「ぢ」を同一視する。
- 清濁変換あり。
- 長音を表す仮名(長音符号「ー」以外も含む)の無視……「龍王」を「りゅお」とする、など。
- 促音「っ」の無視……「勝手」を「かて」とする、など。
- 撥音「ん」の無視……「永久に伝えン」を「とわにつたえ」とする、など。(※ただし、どんな「ん」も無視してよいと考えているわけではないようです。基準はよくわかりませんが、「飲賃(のびちん)」など普通名詞の中に入っている「ん」は無視していないように見えます。無視する「ん」は小書きで「ン」と書いてあります。)
- 「ゝ」の無視……「溢るる(あふるゝ)」を「あふる」とする、など。
- 歴史的仮名遣いへの変換……「吐きそう」を「はきさう」とする、など。
長い原文から、対応する2箇所(それぞれ冒頭近くと末尾近くの部分)を引用してみます。上記の緩和規則を使って頑張って追ってみてください。
蜥易(せきえき)とは、ん? チビの龍(たつ)、トカゲのことォだよ。
こいつぁ色が善く変わる。
変わるは八卦、そこで『易』と言(ゆ)ゥそおね。
〔……〕ね!!
おー、そういう(ゆー)時、得てこそ、ケツは春! わッかるゥ?
若く、良かろォ。良ィ熱い娘。酔ッた男の怪我。取った飲賃(のびちん)、パッと消え。
来ンせェ!
逆から読んでいくとわけがわからなくなりますね。緩和規則を徹底して使うことで、かなりの自由が得られていることは見て取れると思います。
次回はこれらの緩和規則を、このブログで提案していた回文の定義にもとづいて捉えるとどうなるか、を考えます。
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