2015/09/13

[020] 回文と回文体(4)


余暇の平和
上がる丘に
野の爽風
その野に香るが
淡い屁の香よ

[よかのへいわ あがるおかに ののそうふう
そののにかおるが あわいへのかよ]

パナマ式回文の創始者であるパナマさんが、私の会社のOBであることを知ってびっくり、という謎の夢を昨晩見ました。罅ワレです。
アカギレ先生が見込みのない研究の旅に出てしまい、回文体講座は終了となりましたが、回文体の話はもう少し続きます。


[018]で書いたように、回文のなかには、回文体になっていながら、回文体であることの違和感が少なくなるような形式をとったものがあります。[018]では箇条書きを一つの例として挙げましたが、より典型的な例は、「詩歌の形式」です。

回文体の特徴として、1文が短くなる、体言止めが多い、などがあるのでした。これらをあえて回避せず、しかし不自然に見えないようにする手段として、詩っぽい回文を作るのは有効です。詩には文が細かく切れるものがしばしばあるので、その形式を使おうというわけです。詩っぽく見せるために、1字空きや改行を多用する、句読点を削除する、といった方法が用いられます。たとえば冒頭の回文を
余暇の平和。上がる丘に野の爽風。その野に香るが、淡い屁の香よ。
とすると、回文感がやや強まるだろうと思います。

また、七五調もよく使われます。七五の各句がそもそも短いので、1文が短くなってしまう回文体の不自然を絶妙にカバーしてくれるため、回文とは相性がよい、ということが言えそうです。定型の安定感、歴史の長さもあいまって、七五の枠に収めるための労苦にもかかわらず、平安の昔より脈々と作られ続けていますね。

文章の意味の面でも、詩歌は回文に合っていそうです。回文においては文章の脈絡を自然なものにするのが大変ですが、詩歌だと意味的な飛躍があるのが普通なので、その点でも、回文の不自然さを詩歌という形式が補ってくれうるでしょう。冒頭の回文で言えば、これを散文だと思うと「余暇の平和」がなんとなく浮いてしまっている感じなのですが、これを詩だと無理やり思えば、まあありかなという気がしてくる、気もします。

ただ、本気で詩歌的な雰囲気を追求しようとすると、もちろん大変です。当然のことですが、単に改行したり句読点なくしたり七五のリズムに載せたりするだけでは、実際は詩歌にはあまり見えなくて、詩歌っぽい言葉選びが重要そうです。私には無理だ。
詩風の回文は、いまでは、りゅうさん(https://twitter.com/to_be_bot)なしには語れませんので、良質な詩的回文をお求めの方はぜひりゅうさんのところまで。


回文体の話、8回も続けて書いてたらだんだん飽きてきたので、次回は別の話をはさみますよ。

2 件のコメント:

  1. 昨晩のラジオでの「太鼓」回文素晴らしかった!
    本文に関連した点に付いて申しますと七五調になっているところも良かったと思います。
    着地がストンと腑に落ちて可笑しさに繋がる要素がありました。
    七五調の威力は侮れません。

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    1. どうもありがとうございますー。綺麗にまとまりました。
      あの回文が都々逸調になったのは実は偶然なのですが、たしかに七五調の恩恵を大いに受けていると思います。回文体感や意味の曖昧さがうまくカバーされていそうです。定型の落ち着きと意味のおかしさのギャップも重要かもしれない。

      昨晩のO太郎さんのは、土屋耕一オマージュ感があって、O太郎さんらしくていいなあと思って聴いてました。ラジオの投稿者だけで覆面回文やったらけっこう簡単に当てられると思う……。

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